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コラム「坤輿万国全図」琉球石灰岩と「カー(湧水)」(3)、地質と電気探査

2022.3.2

「森影からこんこんと清水が湧き出し、人々をロマンの世界へ誘うところが“天女伝説の発祥の地”宜野湾市真志喜にある“森の川 (もりのかわ、ムイヌカー)”である」、これは沖縄県宜野湾市真志喜の森川公園内にある涌泉の紹介文1)である。今年1月、この付近の湧水の産状を確認するために、この涌泉を訪ねてみた。

涌泉は段丘崖の下端から湧き出ていた。中位段丘と低位段丘を境する段丘崖である。この付近の地質を調べたところ、琉球石灰岩の分布域であり下位の島尻層泥岩の分布は認められない(図1)。この辺りの湧水は琉球石灰岩中から湧出している様である。

この涌泉はいったいどの様な地下経路をたどりここで湧出しているのだろうか? それを知る方法は地質調査(特に地形判読やリモートセンシング、現地踏査)と電気探査であろう。電気探査とは地盤の電気的性質(比抵抗)を測定する事により、地盤状況を把握する物理探査法である。地層は種類により電気的性質(比抵抗)が異なる。一般的には、透水層(地下水が通りやすい地層、砂層・礫層など)は比抵抗が大きく(電気が通り難い)、難透水層(地下水が通り難い地層、泥層など)は比抵抗が小さい(電気が通りやすい)(表1)。この性質を用いて、地質や帯水層(地下水で満たされている砂層・礫層などの透水層)を大まかに区分することができる。

では、琉球石灰岩の比抵抗はいくらであろうか? 調べてみた。当該地域の琉球石灰岩の地質と比抵抗(Ω・m)の特徴を表2に示す。琉球石灰岩の比抵抗は300〜400(土砂状で粘土が多い)又は1,500〜2,000(塊状硬質で粘土を含まない)であり、表1の礫岩や砂岩の値に近い。琉球石灰岩の中でも、粘土が多い部分と粘土を含まない部分が有るということは地下水が通りやすい地層と通り難い地層があり、しかもこれら地層は電気探査により把握できるということである。比較として下位の島尻層(泥岩主体)の比抵抗は10〜20である。電気探査により、琉球石灰岩と島尻層泥岩との境界のみならず、琉球石灰岩中での地下水が通りやすい地層や通り難い地層、地下水の胚胎状況や流動経路が推測できそうである。

図1 沖縄県宜野湾市森の川付近の地質

出典:産総研地質調査総合センター,20万分の1日本シームレス地質図(詳細版,データ更新日:2015年5月29日),https://gbank.gsj.jp/seamless/ に加筆

表1 地層の比抵抗

出典:地学ハンドブック(築地書籍)、ウィキペディア(Wikipedia)

岩石 比抵抗(Ω・m)
湿
透水層 礫岩 100〜500 300〜1,800
砂岩 100〜500 200〜2,500
難透水層 泥岩 100以下
参考 海水 0.2
参考 純水 2.5×105

表2 当該地域の琉球石灰岩の地質と比抵抗の特徴2)、3)、4)

地層名 標徴
(特徴)
模式地
(代表的露出地)
層厚
(地層の厚さ)
岩相
(組成、見た目など)
堆積環境
(地層が堆積した環境)
堆積年代 地層の比抵抗
(Ω・m)
琉球層群
那覇層
沖縄島中南部に分布し,サンゴ礁複合体に特徴的 な生砕物からなる,白色から淡黄色の多孔質な石灰岩の 地層 沖縄県八重瀬町(旧 東風平町)八重瀬嶽及び糸満市与座岳付近 模式地で約50m、うるま市平敷屋付近で最大60m程度、その他の地域では20m程度  
淘汰の悪いタイプの砕屑性石灰岩
サンゴ石灰岩は水深10m から50m の礁斜面で,淘汰の悪いタイプの砕屑性石灰岩は水深150m から 20m の礁前縁で堆積したと推定されている 170万年前〜
45万年前〜
琉球石灰岩
300〜400(土砂状で粘土が多い)
1,500〜2,000(塊状硬質で粘土を含まない)比較・下位の島尻層(泥岩主体)10〜20

参考文献
1)一般社団法人宜野湾市観光振興協会HP はごろも 森の川 伝説
2)氏家 宏,兼子尚知(2006):那覇及び沖縄市南部地域の地質,地域地質研究報告 5万分の1地質図幅 那覇(18)第13・14号NG-52-27-3・7
3)寒河江健一,ハンブレ マーク,小田原啓,千代延俊,佐藤時幸,樺元淳一,高柳栄子,井龍康文(2012 年 2 月):沖縄本島南部に分布する琉球層群の層序,地質学雑誌第118巻第2号,p.117–136
4)森一司,加藤俊典,西田研,小田友也(1997):宮古島砂川地下ダム流域における垂直電気探査の適用性,応用地質,第38巻,第2号,p.54-64

写真1 涌泉「森の川」。枯れることなく、今日も湧き水がとうとうと流れ落ちるムイヌカー(森の川)が察度王の羽衣伝説の舞台とのことである。泉は1725年に向氏伊江家の一族により、石積みで建造されたらしい。写真2の昔の森川公園をイラストにした陶板を観ると、左奥は拝所の様である。神聖な場所。

写真2 左:現地の案内板、右:昔の森川公園をイラストにした陶板。現地の案内板には、次のとおり記されている。

「沖縄県名勝 宜野湾市 森の川、1967(昭和42)年4月11日指定、2000(平成12)年5月19日追加指定。

名勝「森の川」は天女が降臨し沐浴したという「羽衣伝説」の舞台となったところです。「球陽」などの古文書によると、天女は奥間大観なるものと結婚し、一男一女を授かり、のちにその男子は中山王察度になったと記されています。察度王は1372年に公式に初めて中国明と外交を開いた人物として知られています。泉の東隣には村の聖地であるウガンヌカタがあり、そこに立つ石碑(西森碑記)に、泉は1725年に向氏伊江家の一族により、石積みで建造されたことと、そのいきさつが記されています。この泉はまた真志喜の重要な泉で、子供が出生したときの産水、正月の若水をとる泉であり、地域の方々との結びつきが深く、大切な場所です。2003(平成17)年3月設置 沖縄県教育委員会 宜野湾市教育委員会」